Lil’ Goldwell<リル・ゴールドウェル>|タクシーと指輪とレストラン

NEWS

2023/9/6
New EP「タクシーと指輪とレストラン」9/6(水)Release
● 詳細は: こちら

New EP

タクシーと指輪とレストラン

2023.9.6 Release

夢を持ち続けてもいいんだよ
超遅咲きのシンガー Lil’ Goldwell
リルの歌には予想もつかない誰かの人生が見える
リチャード・カーペンター(カーペンターズ)大絶賛!!!
「あなたのCDを聴いて、特別な一日になりました。
聴覚的に圧倒される体験でした。」
Richard Carpenter
リリース日
9月6日(水)※各配信サイトにて
収録曲
M1. タクシーと指輪とレストラン(オリジナル:1983年 加藤和彦)
M2. お世話になりました(オリジナル:1971年 井上順)
M3. 世界中の誰よりきっと(オリジナル:1992年 中山美穂 & WANDS)
M4. ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風(オリジナル:1979年 竹内まりや)
以上 計4曲予定

配信
https://nex-tone.link/A00121397
VIDEO

タクシーと指輪とレストラン
- covered by Lil' Goldwell -

Letter from Richard Carpenter

リチャード・カーペンターからの手紙

- 日本語訳 -

あなたのCDを聴いて、特別な一日になりました。期待に胸を膨らませてタンノイのスピーカーの音量を上げたのですが、聴覚的に圧倒される体験でした。とりわけヴォーカルとヴォーカルアレンジメントに。最も感心したのは、現在の私のお気に入りのトラックである「タクシーと指輪とレストラン」のリードヴォーカルの後ろにいる「ウー」のコーラスです。何回オーバーダビングを重ねたのですか?

妻のメアリーが思い出させてくれたのですが、私があなたの歌を聴いたのは、何年も前に一緒にカラオケクラブに行った時、ただ一度きりで、これほどの音楽的才能の持ち主だとは全く知りませんでした。その証明のためになぜこんなに長い間待ったのですか?いずれにせよ、その才能はすでに発揮されたわけで、最も誇りに思うべきです。

おめでとう、敬意を込めて。
リチャード


PS: なぜLil’ Goldwellなのですか?


Recommendations
~リル・ゴールドウェルさんのCD に寄せて〜
この人は、幾つなんだろう?
明らかに日本人なのに、どうしてリル・ゴールドウェルなんて名前なんだろうか?
心地よい声だし、歌は上手いし、カーペンターズやビーチ・ボーイズやTOP40 の匂いがする。
それでいて、アメリカの音だけでも無い。
年齢や国籍を超えた、甘くてポップで癖になる、ロマンティックな味わいがあるのだ。
この人はきっと少年のような瞳を持った、、、、会ってみたいけど、
まさか、オッさんでは無いことだけを祈りたい。

音楽評論家・作詞家 湯川れい子

これほどまでに音楽性を追求させてもらえるプロジェクトは過去にありませんでした。
鶴の機織りのような繊細な本人のバッキングボーカルが重なり合い、
Lil Goldwell の甘いリードボーカルが響く唯一無二の素敵なハーモニーワールド。
皆様の心に響く事を願っています。

グラミー受賞アーティスト 宅見将典 (本作品アレンジャー)

Lil’ Goldwell のサウンドには、
レターメンとビーチボーイズとカーペンターズの素晴らしさが
全部詰まっている。

音楽プロデューサー 朝妻一郎(本作品プロデューサー)

Summary

解 説

Lil’ Goldwell――。
リル・ゴールドウェルと読む。念のため。

アトランタやボルチモアから頭角を現した新手のラッパーではない。彼は、東京都小金井市(ゆえにLil’ Goldwell)出身のシンガーだ。

顔出しNGの若手ボカロ系歌い手、というわけでもない。彼の年齢は60を越える超遅咲きのシンガーだ。

独特の浮遊感と叙情性を含んだ声を多重録音し、豊富な音楽的知識を元にツボをついたアレンジで往年のヒット曲を歌い上げる。オリジナル楽曲の世界に馴染みつつ、だけど全く別世界へ誘われるような不思議な魅力を放つ彼の音楽は、単純なカバーというものではない。そこには、彼のこれまで歩んできた道のりそのものが反映されていると言ってもいい。だからこそそれは、紛れもない創作なのである。

彼の歩んできた人生は後述するとして、まずは音楽性について触れたい。今回リリースされる新作で明らかになったのは、彼の音楽的な引き出しの多さとアイデアの面白さだ。例えば、「お世話になりました」(井上順)のカバーでは、モータウン・サウンドにフィル・スペクターを意識した展開、そして間奏でビーチ・ボーイズ風のコーラスが鳴り響く。これでもかと60sのアメリカンポップスの要素を盛り込んで1曲に仕上げる手腕はただの音楽好きにとどまらないレベルの高さがうかがえる。また、原曲の作曲者である筒美京平が同曲に込めたアメリカの古いR & Bへのオマージュを考え合わせると、なおさらリルの試みの深さに驚かされる。

さらに、意外な選曲とも言える「世界中の誰よりきっと」(中山美穂&WANDS)では、バブル期に日本を席巻したPWLサウンド、いわゆるユーロビートに変換している。ほぼ時代的に重なる「世界中の〜」とPWLサウンドの邂逅を令和に実現させた結果、とんでもなく目新しいサウンドになっている。

このように、リルの歌謡曲カバーは、原曲の懐かしさ、こうきたか!という驚き、そして音楽的背景を含めた深さに満ちているのだ。

Lil’ Goldwelll Story

夢見る洋楽キッズ

小学校低学年で習い始めたピアノで音楽の基礎を習得したリルは、当時ラジオ関東でオンエアされ絶大な人気を誇っていたプログラム『全米トップ40』(パーソナリティ:湯川れい子/1972年10月〜1986年9月)を毎週楽しみにする洋楽キッズだった。なかでもカーペンターズのハーモニーには魅了され、それは現在まで彼の音楽の中心であり続けることになる。(そして、その思いは長い時を経て、何と今回、リチャード・カーペンター氏や湯川れい子氏の推薦コメントというサプライズを生むことになったのだ!!)

大学へ進学したのを機に軽音楽部に入部し、そこで初めてバンドを結成。学生時代はバンド活動に明け暮れた。「でもプロになろうなんて思ったことは一度もありません。そもそもプロでやっていけるなんて思わなかったし、あとは親に心配をかけるのは嫌じゃないですか。だからまずはちゃんと就職して自立しないとなって普通に思っていました」

新卒で入社したのが、音楽出版社だった。この選択が彼にある種の幸運をもたらすことになる。
「本当に思うんですけど、大学を出て音楽の道に行かなくてよかったなって。僕はフジパシでものすごく楽しかったし、いろいろなチャンスを与えてもらった。夢もたくさん叶えてもらった。何より、音楽出版社で働いたから、僕自身の音楽の引き出しが増えたんですよね。やっぱりそうでもないと、好きなものしか聴かないじゃないですか。でも仕事としてありとあらゆるものを捌かなければならない立場だったので、ものすごく勉強になりました」

新卒から長年勤めた会社を退社する際、会長の朝妻一郎に挨拶に行った。その時、一枚のCDを手渡した。それは、彼が会社に内緒で2004年にリリースしたLil’ Goldwell名義のアルバムだった。そこで初めて音楽活動をやっていたことを告白したのだという。


そして、Lil’ Goldwell 再び
2004年のアルバムをリリースすることになったそもそものきっかけは偶然だった。以前仕事で知り合い、Lil’ Goldwellを個人的に応援してくれていたTV局のディレクターから、ビデオ映像で使用する音楽の発注を受けたのだ。これが初めてプロとしての仕事だった。

「それで僕が男性の歌声を担当することになったんです。ソウルからロックからフォークからいろいろあったんですけど、その中にアソシエイションっていうアメリカのソフトロックバンドが60年代にヒットさせた『チェリッシュ』って曲があって、そこで初めて自分の声をオーバーダビングしてハモを重ねたんです。これがリル・サウンドの原点でした。」

手応えを掴んだ彼は、その時の共同制作者だった下町兄弟とともに、続けて同じ手法でビージーズの「メロディ・フェア」をワンコーラスだけ録ってみた。するとそれが瞬く間に業界関係者の耳にとまり、メジャーレーベル2社からリリースしないかという声がかかったのだ。

「全然売れなかったんですけどね(笑)。選曲はディレクターの方が決めてくれたものだったんですが、ベタなカバー・アルバムにはしたくないという思いがあって、 アレンジはオリジナルとはかなりガラッと変えているんです。それが周りでも評判が良く、その後そのままリルのスタイルとして定着しました」
〇アメリカへの転勤と転機~笠井紀美子さんからの運命の一言
このアルバムをリリースした後、彼はアメリカへ転勤となった。
「もう歌は一生分歌ったなっていう感じでした」
 アメリカでは一切音楽活動はしなかった。5年10ヵ月の転勤生活を経て日本に戻ってきていたある日、アメリカで知り合って仲良くなった往年のジャズシンガーである笠井紀美子と食事をしている時だった。引退して時間の経っている笠井とはあまり音楽の話をしたことがなかった。おいしい料理や楽しい旅行先の話に花が咲くなか、フランク・シナトラの「Spring is Here」が店内に流れ出した。
「なんかその時ふと聴こえた歌詞にグッときちゃって。普通に歌っちゃったんです」
 その歌を聴いた笠井が驚いて尋ねた。
「あなた歌を歌っているの?」
 しどろもどろになる彼に笠井はこう言ったという。
「あなたの声はチェット・ベイカーよ」
 店を出て、笠井と別れた後、彼はこう思った。
「もう一度やってみようかな……」

念願のお忍びメジャーデビュー!?
彼に手渡されたCDを朝妻一郎はその場でステレオにセットし大音量で聴き始めた。しかし少しして、次の予定があったのか、朝妻はすぐにいなくなってしまった。
「まあ、何も聴いてもらえずにゴミ箱行きだろうなって思ってたから、まだ少しでも聴いてもらえてよかったなって思いました」
ところがその数日後、用事があって会社に来ていた彼を見つけると朝妻が近づいて来て言った。
「あれ、すばらしいじゃないか。一緒にやろうよ」
また冗談を言っている。そう思った彼は冗談で返すつもりでこう言った。
「じゃあ朝妻さんプロデュースしてもらえます?」

こうして、Lil’ Goldwellのプロジェクトが朝妻一郎プロデュースの元で再開した。それが今回リリースされる新作だ。共同制作者には今年のグラミー賞グローバルミュージック部門を受賞した宅見将典が名を連ね、往年のヒット曲という括りには収まりきらない名曲や、今こそ世代を超えて聴き継がれなければならない曲など幅広い選曲が楽しめる。そして何より、彼の歌声と音楽的遊び心に満ちたアレンジが絶妙に響く。

それにしても、人生というのはわからないものだ。一度もプロのシンガーになろうと思ったことのない者が、偶然の導きによって扉を開けてしまうのだから。しかしそれは、本当に偶然なのだろうか? 音楽出版社に就職したこと、そこで様々な経験を積んだこと、必要に駆られて自分の歌を録音したこと、アメリカでの笠井との出会い、たまたま会食していた場所でかかったシナトラ、そして朝妻にCDを渡したこと……、すべての偶然は予めそうなるように予定されていたのではないか。なぜなら彼はずっと音楽を諦めてはいなかったから。
「無駄じゃないと思うんですよね。いろいろなことが。たとえ今は会社員だったとしても。僕なんかは本当に何もかもが直接的に無駄じゃなかったので。負け惜しみに聞こえるかもしれないんですけど、音楽との付き合い方ってひとつじゃないわけじゃないですか。要するに、20歳でメジャーレーベルからデビューすることだけが音楽と関わる唯一の方法かって言われたら、そんなことはないわけで。いろんな方法があるし、その中にその人なりの方法が絶対にあると思うんですよ。僕にはこれがいちばん合っていたんでしょうね」

 「Spring is Here」の歌詞にこんな一節がある。
〈Spring is here, why doesn't my heart go dancing?
Spring is here, why isn't the waltz entrancing?
No desire, no ambition leads me
Maybe it's because, nobody needs me〉

簡単に意訳すればこうなる。
春なのにどうしてこんなに落ち込んでしまうんだろう。それはたぶん、誰も僕を必要としていないからだ。
この歌詞に「グッときて」しまい、半ば本気で歌ってしまったあの夜、彼はもっとも正直な自分自身を外に出したのだ。
夢を諦めるな、というのはもしかしたら誰にでも言えることかもしれない。けれど、「夢を持ち続けてもいいんだよ」というのは彼にしか言えないのではないか。
Lil’ Goldwell――。彼の歌には予想もつかない誰かの人生が見える。

Text:谷岡正浩

Liner notes

Lil’ Goldwell本人によるセルフライナーノーツ

タクシーと指輪とレストラン
今作のプロデューサーを引き受けて下さった、朝妻一郎さんのたってのリクエストで加藤和彦/安井かずみコンビが特別に用意したという、伝説の名曲です。(加藤さんが1983年に発表したアルバム「あの頃、マリー・ローランサン」収録)自分のバージョンに関しては、AメロとBメロの16小節はパターン違いのアカペラでやるところまではリルの定番路線。
その後のサビではガラッと味変させたくて、ヴァンゲリスの「炎のランナー」をヒントにアルペジエーターというシンセベースを連打するソフト音源を使って、懐かしいけど新しい、独特なパワーバラードに転換できたかな、と自惚れてます。
ここでもうひとつ朝妻さんに関するエピソード。かの大瀧詠一さんが朝妻さんに語ったところによると、ヒット曲の必要条件のひとつは「最後のサビの転調」とか。ふとそれを思い出し、あらためてこの曲を見直してみると….「自然な転調が成立するじゃん!」。かくして最後のサビはめでたく半音転調することができましたが、転調後の盛り上げがなければ転調した意味がありません。そこで僕の音楽の神様であるカーペンターズが降臨して救いの手を差し伸べてくれました。
名曲「愛にさよならを」のエンディングに登場する分厚い白玉コーラスとドラマチックなギターソロ。これでリルのバージョンは大団円を迎えます。でも表彰状は僕ではなく、アレンジャーの宅見将典さんに贈られるべきです。勝手な思いつきだけで拾い集めた、一貫性のないバラバラな音楽的要素を、一曲の中に矛盾なく成立させるのは並大抵のことではなかったでしょう。この素晴らしいエレキギターのソロだけでなく、間奏で聴かれるガットギターのソロも彼の手によるものです。あらためまして厚く御礼申し上げます。

お世話になりました
子供の頃から慣れ親しんだ楽曲ですが、まさか自分が歌うことになるとは夢にも思っていませんでした。
「サザエさん」の主題歌もそうですが、モータウンやアトランティック・サウンドといった60年代のソウル・ミュージックをベースにしつつ、それを全国津々浦々のお茶の間で愛される「日本のポップソング」に昇華させた筒美京平さんの技術力にはただただ脱帽です。誠に僭越ながら、今回カバーさせていただくにあたり、僕は筒美さんが作曲された時に頭の中で鳴っていたであろう(と勝手に想像した)、洋楽の要素を敢えて強調する方向でアプローチしました。
モータウン・サウンドとスペクター・サウンドを2小節ずつ交互に組み合わせ、ちょうどブライアン・ウィルソンのドキュメンタリー映画を観た直後で、頭の中がビーチボーイズ一色になっていたせいか、間奏にはビーチボーイズ風のコーラスまで。当初はサビで繰り返される「♪お世話になりました〜」をフランキー・ヴァリ風の声でやってはどうか、とも考えていたのですが、「悪ノリが過ぎる」と怒られそうでやめにしました。惚れた腫れたではない、荒野を目指す青年の心情を綴った山上路夫さんの歌詞にも大いに感化されました。
時代は移り、タバコ屋がコンビニになり、下宿屋がワンルーム・マンションになっても、「新しい生き方を僕は見つけてみたい」という人間のささやかな願望は不変ですね。

世界中の誰よりきっと
大学を卒業し、音楽出版社に職を得た80年代後半はユーロービートの全盛期。
洋楽部門に配属された新入社員の僕に命じられた仕事のひとつは、日本マーケット受けするユーロビート楽曲を探し出し、それを日本人アーティストに売り込むことでした。とりわけ当時契約していた、ストック・エイトケン・ウォーターマンという作家チームが設立した、ユーロビートの総本山というべきPWLレーベルの出版社はポップでメロディックな楽曲の宝庫で(代表曲「愛が止まらない」をWinkにプレゼンしたのは、他でもないプロデューサーの朝妻さんでした)80年代のモータウンと呼ばれて然るべき存在でした。
そんな職業人生のスタートを切った僕にとって、ユーロビートのアレンジによるカバーはずっとやり残してきた宿題のようななもので、あとは最適なキラーチューンを見つけるだけ。そして見つかりました!同じく80年代から90年代にかけてヒット曲を量産された織田哲郎さん作曲による名曲「世界中の誰よりきっと」です。中山美穂さんが歌唱されたオリジナルバージョンは前述のスペクターサウンドを巧妙に取り入れたレトロ風味のものでしたが、同時代の最新トレンドであったユーロビートでやってみたらどうだろう?と思ったのがきっかけです。
歌に関しては、字ハモ、白玉ハモ、追っかけコーラス。1声から4声まで総動員して、なんとかリルの土俵に引っ張り込もうと奮闘しましたが、ダンスミュージックを歌うのは初体験。そのビートに背中を押されたのか、自分でも知らなかった強く張った声が出ました。新機軸発見です。

ドリーム・オブ・ユー
〜レモンライムの青い風
過去リリースした3枚のアルバムの制作経験から学んだことの一つは「個人的な思い入れがない曲の方がいい結果を生むことが多い」という皮肉な事実です。
「この曲好き!好き!」という思いが強すぎると、楽曲と健全な距離を取るのが難しくなり、独りよがりな音楽に陥る傾向がある一方、ディレクターさんやプロデューサーさんから薦められて初めて耳にするような楽曲の方が、客観的に分析した上で、リル・ゴールドウェルとして冷静なアプローチができるのです。(単に課題に燃えるタイプ、とも言えますが…)しかしながら「ドリーム・オブ・ユー」は今回のE Pの中で、唯一自分が好きで提案した楽曲です。
竹内まりやさんの初期のシングルで、2バージョン録音されていますが、両方ともホーンやストリングスをふんだんにフィーチュアーした高級感あふれるディスコ寄りのアレンジです。でも作曲の加藤和彦さんが提出したデモはどんなものだったのか?いつものように勝手な妄想をふくらませながら、スティール・ギターとブラシに色付けされたカントリーポップ方向に行くことにしました。竹内さんのアルバムバージョンでは山下達郎さんがこれでもか、というほど一糸乱れぬ複雑で洗練されたコーラスワークを披露されていて、リルごときの出る幕ではないのですが、この曲が本質的に持っている素朴でドリーミーな旋律に焦点を当てる方向でチャレンジしてみました。

VIDEOS

  • ジワる!“お世話になりました

  • ジワる! “狂わせたいの

  • ジワる!“じゃあね”

  • ジワる! “帰って来たヨッパライ”

ジワる! "およげ!たいやきくん

Discography

PROFILE

Lil’ Goldwell(リル・ゴールドウェル)
リル・ゴールドウェル
Lil’ Goldwell
東京都小金井市出身。小学校低学年でピアノを習い始め、大学では軽音楽部に入部。卒業後、音楽出版社に就職し、様々な音楽現場の業務を経験。2004年に、会社には内緒で、1st アルバム「Melody Fair」をリリースし、カバー・アーティストとしてビクターエンタテインメントよりメジャーデビュー。
その後、一度は音楽活動をやめてしまうものの、様々な縁が重なり活動を再開し、2018年にはミニアルバム「Killer Queen」を、そして2020年には日本語曲のカバーに挑戦しミニアルバム「リルの歌謡ポップス」をリリース。
そして、それらの作品が、自身が勤務する(株)フジパシフィックミュージックの会長・朝妻一郎の耳に留まり、その朝妻プロデュースの下、グラミー受賞アーティスト・宅見将典をアレンジャーに招き、今作「タクシーと指輪とレストラン」の収録曲4曲が制作され、なんと自身が勤める会社からリリースすることになった。

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