Lil’ Goldwelll Story
小学校低学年で習い始めたピアノで音楽の基礎を習得したリルは、当時ラジオ関東でオンエアされ絶大な人気を誇っていたプログラム『全米トップ40』(パーソナリティ:湯川れい子/1972年10月〜1986年9月)を毎週楽しみにする洋楽キッズだった。なかでもカーペンターズのハーモニーには魅了され、それは現在まで彼の音楽の中心であり続けることになる。(そして、その思いは長い時を経て、何と今回、リチャード・カーペンター氏や湯川れい子氏の推薦コメントというサプライズを生むことになったのだ!!)
大学へ進学したのを機に軽音楽部に入部し、そこで初めてバンドを結成。学生時代はバンド活動に明け暮れた。「でもプロになろうなんて思ったことは一度もありません。そもそもプロでやっていけるなんて思わなかったし、あとは親に心配をかけるのは嫌じゃないですか。だからまずはちゃんと就職して自立しないとなって普通に思っていました」
新卒で入社したのが、音楽出版社だった。この選択が彼にある種の幸運をもたらすことになる。
「本当に思うんですけど、大学を出て音楽の道に行かなくてよかったなって。僕はフジパシでものすごく楽しかったし、いろいろなチャンスを与えてもらった。夢もたくさん叶えてもらった。何より、音楽出版社で働いたから、僕自身の音楽の引き出しが増えたんですよね。やっぱりそうでもないと、好きなものしか聴かないじゃないですか。でも仕事としてありとあらゆるものを捌かなければならない立場だったので、ものすごく勉強になりました」
新卒から長年勤めた会社を退社する際、会長の朝妻一郎に挨拶に行った。その時、一枚のCDを手渡した。それは、彼が会社に内緒で2004年にリリースしたLil’ Goldwell名義のアルバムだった。そこで初めて音楽活動をやっていたことを告白したのだという。
「それで僕が男性の歌声を担当することになったんです。ソウルからロックからフォークからいろいろあったんですけど、その中にアソシエイションっていうアメリカのソフトロックバンドが60年代にヒットさせた『チェリッシュ』って曲があって、そこで初めて自分の声をオーバーダビングしてハモを重ねたんです。これがリル・サウンドの原点でした。」
手応えを掴んだ彼は、その時の共同制作者だった下町兄弟とともに、続けて同じ手法でビージーズの「メロディ・フェア」をワンコーラスだけ録ってみた。するとそれが瞬く間に業界関係者の耳にとまり、メジャーレーベル2社からリリースしないかという声がかかったのだ。
「全然売れなかったんですけどね(笑)。選曲はディレクターの方が決めてくれたものだったんですが、ベタなカバー・アルバムにはしたくないという思いがあって、 アレンジはオリジナルとはかなりガラッと変えているんです。それが周りでも評判が良く、その後そのままリルのスタイルとして定着しました」
「もう歌は一生分歌ったなっていう感じでした」
アメリカでは一切音楽活動はしなかった。5年10ヵ月の転勤生活を経て日本に戻ってきていたある日、アメリカで知り合って仲良くなった往年のジャズシンガーである笠井紀美子と食事をしている時だった。引退して時間の経っている笠井とはあまり音楽の話をしたことがなかった。おいしい料理や楽しい旅行先の話に花が咲くなか、フランク・シナトラの「Spring is Here」が店内に流れ出した。
「なんかその時ふと聴こえた歌詞にグッときちゃって。普通に歌っちゃったんです」
その歌を聴いた笠井が驚いて尋ねた。
「あなた歌を歌っているの?」
しどろもどろになる彼に笠井はこう言ったという。
「あなたの声はチェット・ベイカーよ」
店を出て、笠井と別れた後、彼はこう思った。
「もう一度やってみようかな……」
「まあ、何も聴いてもらえずにゴミ箱行きだろうなって思ってたから、まだ少しでも聴いてもらえてよかったなって思いました」
ところがその数日後、用事があって会社に来ていた彼を見つけると朝妻が近づいて来て言った。
「あれ、すばらしいじゃないか。一緒にやろうよ」
また冗談を言っている。そう思った彼は冗談で返すつもりでこう言った。
「じゃあ朝妻さんプロデュースしてもらえます?」
こうして、Lil’ Goldwellのプロジェクトが朝妻一郎プロデュースの元で再開した。それが今回リリースされる新作だ。共同制作者には今年のグラミー賞グローバルミュージック部門を受賞した宅見将典が名を連ね、往年のヒット曲という括りには収まりきらない名曲や、今こそ世代を超えて聴き継がれなければならない曲など幅広い選曲が楽しめる。そして何より、彼の歌声と音楽的遊び心に満ちたアレンジが絶妙に響く。
それにしても、人生というのはわからないものだ。一度もプロのシンガーになろうと思ったことのない者が、偶然の導きによって扉を開けてしまうのだから。しかしそれは、本当に偶然なのだろうか? 音楽出版社に就職したこと、そこで様々な経験を積んだこと、必要に駆られて自分の歌を録音したこと、アメリカでの笠井との出会い、たまたま会食していた場所でかかったシナトラ、そして朝妻にCDを渡したこと……、すべての偶然は予めそうなるように予定されていたのではないか。なぜなら彼はずっと音楽を諦めてはいなかったから。
「無駄じゃないと思うんですよね。いろいろなことが。たとえ今は会社員だったとしても。僕なんかは本当に何もかもが直接的に無駄じゃなかったので。負け惜しみに聞こえるかもしれないんですけど、音楽との付き合い方ってひとつじゃないわけじゃないですか。要するに、20歳でメジャーレーベルからデビューすることだけが音楽と関わる唯一の方法かって言われたら、そんなことはないわけで。いろんな方法があるし、その中にその人なりの方法が絶対にあると思うんですよ。僕にはこれがいちばん合っていたんでしょうね」
Spring is here, why isn't the waltz entrancing?
No desire, no ambition leads me
Maybe it's because, nobody needs me〉
春なのにどうしてこんなに落ち込んでしまうんだろう。それはたぶん、誰も僕を必要としていないからだ。
この歌詞に「グッときて」しまい、半ば本気で歌ってしまったあの夜、彼はもっとも正直な自分自身を外に出したのだ。
夢を諦めるな、というのはもしかしたら誰にでも言えることかもしれない。けれど、「夢を持ち続けてもいいんだよ」というのは彼にしか言えないのではないか。
Lil’ Goldwell――。彼の歌には予想もつかない誰かの人生が見える。
Text:谷岡正浩