フジパシフィックミュージックとは
OUR HISTORY フジパシフィックミュージックの歴史
OUR HISTORY1966 - 1975
カウンターという時代
自分のメッセージを歌に込めて発信した、
シンガーソングライター第一世代
ベトナム戦争が起こり、世界でカウンターカルチャーの波が押し寄せた60年代。アメリカではウッドストックで、イギリスではワイト島でロックフェスが開催された。
既存のフィールドに納得するのではなく、自由を求めて歩んでゆく。歌にメッセージをこめて発信する、その原型が、生まれたのがこの時代だったのかもしれない。
ギターを手に、自分の言葉で時代にアジテーションしていたシンガーソングライター第一世代の歌は、時代が変わっても色褪せない。
WORKS
1976 - 1985
ヒット曲を生み出すメディアが
ラジオからテレビへ移行していく
パンクやディスコが台頭するなどロックが多様化していくなかで、音楽が巨大なビジネスとして成熟していく。ニューヨークでMTVが開局したのが81年夏のことだった。
音楽も映像化されることによって、より多くのファンを獲得していった。日本ではテレビCMによって、注目を集める楽曲が多くなっていった。
ヒット曲を生み出すメディアが、ラジオからテレビへとシフトしていった時代。レコーディング技術も発達し、アナログからデジタルへの移行もはじまる。
WORKS
1986 - 1995
アナログからCDへ
テレビドラマの主題歌に起用されることも
メガヒットの要因に
82年に世界初のCDプレイヤーが発売され、同時にソフトとしてのCDも発売されるようになった、アナログLPに比べ収録できる時間が長いこと、取り扱いが便利なことなどから、定着していったCD。
86年に生産枚数でLPを追い越し、87年には売上でも上回った。CDが普及したのに伴い、メガヒットも多数出現。100万枚を超えるミリオンヒットが珍しくなくなった。
テレビドラマの主題歌も、ヒットを生み出す大きな要因の一つとなっていった。
WORKS
1996 - 2005
音楽シーンの分岐点
CDバブルと
バブル後の音楽の本質への回帰
90年代中盤にJ-POPという言葉が定着していく。ヨーロッパやアメリカから影響を受けた音楽ではなく、日本のシンガーソングライターやミュージシャンの先進から学んでいった音楽。
98年には、国内でのCD生産枚数、C D、アナログを合わせた生産売り上げが、ともにピークを迎え、「CDバブル」という言葉さえ使われるようになった。
テレビというマスメディアでの広がりを共有しながら、いかに音楽という本質を保持するのか。音楽シーンが分岐点を迎えた。
WORKS
2006 - 2015
ファストミュージックから
スローミュージックへ
世代を超えて愛される、歌の出現を
iPodが発売されたのが2001年10月。CDからデジタルダウンロードへと音楽マーケットの主流は流れていく。
2006年には、音楽配信がCDシングルの売り上げを超えた。大量消費や大衆化という意味で使われるファストが、音楽でもささやかれるようになった。
ファストミュージックではなく、リアルミュージック、スローミュージックを追い求めること。時代に流されることなく、時代の音楽として世代を超えて愛されるナンバー。その出現がより求められている。
WORKS
2016 - 2024
サブスクリプションやSNSで
新譜も旧譜も全世界で自由に聴かれる新時代へ
ダウンロード型中心だった音楽配信は、サブスクリプション型の登場で新たなリスニングスタイルを得て広く受け入れられ、映画やアニメとのメディアミックスによる新ヒットが生まれている。
また、DSPより配信される40~50年前の旧譜音源が、国内はもとより海外でもシティポップなどの切り口で、より広く聞かれて再評価されるという現象も発生。
SNSでリスナーが発信するなど動画により、新たなるリスニングと楽曲共有の形も生まれ、更なるヒットのバズも起こっている。
音楽は、これまでよりもっと自由に聴かれる新時代へ。