Vol.29 スウイングの王様~"King of Swing "といわれたベニー・グッドマン

映画「スウィング・ガールズ」以後、CMやBGMで盛んに使われるようになった「SING SING SING」。ルイ・プリマが作ったおなじみの曲ですが、意外と知られていないのがオリジナル・ヒット・メイカーのベニー・グッドマンのこと…ということで今回のThe Seasoning of Songsはスウイングの王様~”King of Swing "といわれたベニー・グッドマンを少しばかり掘り下げてお送りします。

ベニーは1930年代、主に黒人の大衆音楽とされていたジャズを広く白人社会にも普及させたクラリネット奏者そしてバンド・リーダーとして有名です。また、彼の活躍ぶりは1955年にスティーブ・アレンとドナ・リードが主演したユナイト映画「ベニー・グッドマン物語」でご存知の方も多いと思います。
ベニーは遡ること98年前、1909年5月30日シカゴの貧しい仕立屋の次男として生まれました。両親が教育の為にクラシックのクラリネットを習わせたのがきっかけで才能が芽生え、10代ではモーツアルトを演奏できる程上達、次第にルイ・アームストロングやビックス・バイダーベックが演奏していたジャズに魅せられようになり、16歳で当時メンバーをさがしていたベン・ポラック楽団に参加、腕を磨いた後に独立。この頃からコルネットのレッド・ニコルスやピアノのテディ・ウィルソンまたプロデューサーのジョン・ハモンドとの親交がはじまりました。そしてわずか25歳で自らのバンドを持ったのです。

さて、ベニー・グッドマンの功績といえばもちろん、それまでは黒人の為の音楽と思われていたジャズを良い意味で白人も楽しめる洗練されたポピュラー・ミュージックにした点です。ジャズの持つバイタリティ、つまり黒人の持つスイング感がそのエッセンスだと気づいた彼が最初に行ったことはバンドのアレンジャーとして黒人のフレチャー・ヘンダーソンを起用したことです。フレッチャーの編曲は白人のスウィート・ミュージックとは違ってブラス陣とサックス陣が互いにパワフルに交差しジャンプする”キラー・ディラー”スタイルと呼ばれ、例えるなら彼のスタイルの登場は昨今の音楽シーンにおけるHipHopの登場と等しく語られるほど衝撃的なものであったと言えるでしょう。


この時代のベニーの代表的演奏:
「DON'T BE THAT WAY」(その手は無いよ)
「STOMPING AT THE SAVOI」(サボイでストンプ)
ベニー・グッドマン楽団

★上記2曲は『ベニー・グッドマン・ベスト』(BVCJ-38141)に収録されています
 

人種差別がまだまだ激しかった当時、黒人をバンド・メンバーとして迎えたベニーの勇気は後年大変評価されました。さすがに沢山の白人がいるオーケストラに黒人を迎え入れることは難しかったため、黒人のメンバー化は少人数のコンボでのみ実現されました。
ベニー(cl)ジーン・クルーパー(ds)に黒人のピアノニスト:テディ・ウィルソンを加えたベニー・グッドマン・トリオはベース・レスでしたがテディの強靭な左手がベースをカバーしたのです。ベニーのコンボ・グループはのちにライオネル・ハンプトンのヴィヴラフォンを加えクワルテットとなります。そしてサウンドもよりスムーズなものとなり後のバップ~モダン・ジャズの源流を作ったのです。


この時代のベニーの代表的演奏:AFTER YOU' VE GONE(君去りしのち)ベニー・グッドマン・トリオ
MOONGLOW(ムーン・グロウ)
ベニー・グッドマン・クワルテット

★『AFTER YOU' VE GONE(君去りしのち)』ベニー・グッドマン・トリオは『ベニー・グッドマン・ベスト』(BVCJ-38141)
『MOONGLOW(ムーン・グロウ)』ベニー・グッドマン・クワルテットは『ベニー・グッドマン物語』(TOCJ-6238)にそれぞれ収録されています


35年、ニューヨーク)アポロシアター(有名なアポロシアターとは別)公演の大成功をきっかけにバンドの人気はうなぎのぼり、まさに大スターとなったベニー。38年1月16日にはついにクラシックの殿堂と言われたカーネギー・ホールに進出、カーネギー創設以来初となるジャズ・コンサートを行う偉業を達成したのです。ベニーの功績により、カーネギー・ホールで演奏することはポピュラー/ロック・ミュージシャンにとっても最高のステイタスとなったのです。ちなみに1964年2月12日にはカーネギー・ホール史上初のロック・コンサートがビートルズによって行われています。


SING SING SING (シング・シング・シュイング)
ベニー・グッドマン・カネーギー・ホール・コンサート・ライヴ

★記念すべきカーネギー・ホールへの初進出ライヴは『ライヴ・アット・カーネギー・ホール1938』(SRCS-9610)としてアルバム・リリースされております