Vol.30 "King of Soul"サム・クック特集

今回のThe Seasoning of Songsは、今年2007年に(ソロ)デビュー50周年を迎えたサム・クックをピックアップしてご紹介いたします。
サム・クックは1931年牧師の息子としてミシシッピ州クラークサイドにて生を受けました。
兄弟姉妹と結成したゴスペル・カルテット:ザ・シンギング・チルドレンの一員として音楽キャリアをスタートさせたサムは、19才になるとザ・ソウル・スターラーズのメンバーに加わり、圧倒的なヴォーカル・パフォーマーとしてゴスペル界で大きな成功をおさめます。
ザ・ソウル・スターラーズのメイン・ヴォーカリストとしてゴスペル・シーンのトップに君臨したサムは、1956年、"デイル・クック"という別名により"Lovable"というR&Bソングをリリースし、ポップ・マーケットへの進出を試みます(この"Lovable"がサム・クックの事実上のデビュー・シングル)。しかしながら、この1枚を残して、方向性の見解相違からソウル・スターラーズ時代より所属していたレーヴェル:Specialtyを離脱、新たに契約したKeenから"サム・クック"名義としては初となるシングル"You Send Me"を1957年にリリースし、ついにポップ・シーンに登場します。
"You Send Me"は、ビルボードのR&Bチャートで6週連続1位を記録する一方、ポップ・チャートでも3週連続1位を記録するクロスオーヴァー・ヒットとなり、サムは一躍メインストリームで大スターの座を獲得、
その後も、同レーヴェルより"I'll Come Running back To You"、"(I Love You) For A Sentimental Reason"などのヒットを連発しますが、いくらヒットを飛ばせど思うように潤わない・満足な対価が得られない契約形態に辟易したサムは、1960年、シングル"Wonderful World"をリリースした直後、"自作楽曲の著作権を(レーヴェルではなくアーティスト)自身が管理できる"という当時前代未聞の契約をRCA Victorと締結しレーヴェルを移籍します。
レーヴェル移籍と併せて、自身のツアーやプロモーション活動をアレンジするためのマネージメント会社や音楽著作権を管理する音楽出版社を設立する等、それまで搾取されがちであった黒人アーティストへの正当な利益の還元スキームを確立、そんな従来の黒人アーティストにはみられなかった起業家精神に則ったビジネスマンとしての有能ぶりを開花させる一方、サムはアーティスト/ソングライターとしても類まれなる才能を発揮し、"Chain Gang"、"Cupid"、"Twistin' the Night Away"そして"Bring It On Home To Me"など大ヒットを連発、"キング・オブ・ソウル"と賞されるまでに至ります。
サムの作り出すキャッチーなメロディ、そして圧倒的なヴォーカル・パフォーマンスは、黒人のみならず白人をも魅了し、音楽を媒体に黒人と白人を繋ぎ、当時盛んだった公民権運動へも貢献しました。
このように富も名声も手に入れたサム・クックを待っていたのは、誰もが予想し得ない悲劇的な最期でした。
1964年12月11日、彼の当時のステイタス(空路移動は全てファースト・クラス、宿泊は超高級ホテルのスイート・ルームなど)からはおよそ縁遠いロスの安モーテルの一室で射殺されてしまいます。その死に関してはミステリアスな部分が多く、未だ明解な死因が公表されていません。いずれにしろ、ポップ・アーティストとして8年という短い実働期間にもかかわらず、ミュージック・シーン及びミュージック・ビジネスに大きな足跡を残し、サム・クックは33歳という若さでこの世を去りました。
サム・クックを知らずとも、ロッド・スチュワートをはじめ、ジョン・レノン、ブルース・スプリングスティーンからマーヴィン・ゲイ、ボビー・ウーマック、オーティス・レディングなどのアーティストから、サム・クックのエッセンスを感じることができます。まさに不世出のヴォーカリストといえましょう。
それではフジパシフィックの管理楽曲の中からサム・クックの代表的なナンバーを数曲ピックアップしてご紹介いたします。


You Send Me ('57)

("サム・クック"名義の)デビュー・シングルにしてサム・クック唯一のポップ・チャートNo.1ヒット。
この曲のヒットによりサム・クックはポップ・アーティストへ転身、以後大ヒットを連発し、"ソウル・ミュージック"というジャンルの確立に大きな役割を果たします。"ボクはキミに夢中なんだ"という意味合いをもつロマンティックなミディアム・ナンバーで、ナット・キング・コールやオーティス・レディング、アレサ・フランクリンその他多くのアーティストによりカヴァーされています。
 

(What A) Wonderful World ('60)

サッチモ=ルイ・アームストロングのあの曲(邦題:この素晴らしき世界)とは同名異曲。作曲にはあのハーブ・アルパートもクレジットされている'60年のトップ20ヒット。CMに使われたこともあり、日本人に最も親しまれているサム・クック・ナンバーかもしれません。アート・ガーファンクルがジェイムス・テイラーとポール・サイモンをコーラスに迎えてカヴァーしたヴァージョンが有名。また、ハリソン・フォード主演の映画『目撃者』で効果的に使用され、'85年イギリスでリヴァイヴァル・ヒット(全英チャート2位)しました。
 

Chain Gang - The Work song - ('60)

RVC Victor移籍第1弾シングルで'60年8月に全米2位を記録したキャリア2番目に売れたシングル。Chain Gang~鎖に繋がれて終日野外労働を課せられる囚人~をテーマにした歌。サムのヴォーカルが映えまくる強烈なR&Bナンバーです。
 

Twistin' The Night Away ('62)

チャビー・チェッカーの"The Twist"の大ヒットにより爆発した60's初頭のツイスト・ブームに乗ってレコーディング/リリースされた曲で、'62年ポップ・チャートでトップ10入りしました(第9位)。邦題は"ツイストで踊りあかそう"。ダンス・スタイルをテーマにしたサムの楽曲には他に、"Everybody Loves To Cha Cha Cha"(チャチャチャ)があります。
 

Bring It On Home To Me ('62)

"Twistin' The Night Away"の次のシングルとして'62年にリリースされたこの曲は、ポップ・チャート13位とうチャート上の記録以上にジョン・レノンやポール・マッカートニーなど多くのアーティストに愛されるサム・クック随一のナンバーとして知られています。傑作として名高いライヴ盤"Live At The Harlem Square Club, 1963"(「ハーレム・スクエア・ライヴ '63」)では、サム自身による前口上を受けてまさにショウのクライマックスとして熱くパフォーマンスされています。日本ではトータス松本がソロ・アルバム「TRAVELLER」(TOCT-24938)にてカヴァーしています(他にサムの「Sugar Dumpling」のカヴァーも収録)。
 

A Change Is Gonna Come ('65)

'63年にレコーディングされたこの曲は、'64年12月に起こったサムの悲劇的な死後、"Shake"に引き続きリリースされTop40ヒットとなりました。
おりしも公民権運動の真っ只中、白人であるボブ・ディランが"Blowin' In The Wind"(風に吹かれて)で歌った歌詞に触発され、そのアンサー・ソングとしてサムはこの曲をコンサート後のツアー・バスに揺られながら書き下ろしたという黒人のオピニオン・リーダーとしての意識の高さが窺える逸話も残っています。
この曲のそうしたテイストは、スパイク・リーが監督した映画「マルコムX」の劇中、マルコムが凶弾に倒れる最後の演説会場に向かう車中で考えに耽るシーンで非常に効果的に使用されています。


※上記楽曲は【Portrait of A Legend 1951-64】(輸入盤)に収録されています。
なお、アルバムとしては、

(1)当時のR&Bアーティスト同様シングル・レコード・ヒット・オリエンティッドの姿勢から一転、ブルースのカヴァーなどを収録した非常に完成度の高いアルバム「ナイト・ビート」(BVCM-37670)




また、(2)白人マーケットにも受け入れられるサムの洗練されたイメージからかけ離れているという理由でレコード会社による20年超にも渡る長い封印期間を経て'85年にやっと陽の目を見ることとなった「ハーレム・スクエア・ライヴ '63」(BVCM-37671)での、黒人オーディエンスの前で熱くシャウトするサム・クックもお薦めです。