Vol.53 世界の音楽シーンを支えたミュージック・マンに悲報相次ぐ!


早々に満開となった桜も、今週列島を襲った強い雨風により、ほぼ散ってしまいました。
先週から今週にかけ、そう、満開の桜が散るように、世界の音楽シーンを支えた偉大なミュージック・マンの悲報が相次ぎました。

‘60年代から、世紀を超え2010年代に渡り、レコーディング・エンジニアそしてプロデューサーとして数々の傑作を残したフィル・ラモーンが、この3月30日ニューヨークの病院で亡くなりました(79歳)。
フィルはもともとエンジニア出身ですが、彼の功績には作家、プレイヤーに劣らぬミュージック・マンとして音楽センスを感じざるを得ません。
出身は南アフリカ。ピアノとヴァイオリンを学ぶために渡米し、高校に通う傍ら、名門ジュリアード音楽院に学びました。
作曲やパフォーマンスのみならず、エンジニア部門に興味をもち、’61年にA&Rスタジオをニューヨークで開き、ジョン・コルトレーンやスタン・ゲッツなどの録音を担当します。
ボサノバを全世界に広めた名作『ゲッツ・ジルベルト』は’64年のグラミーでベスト・エンジニア賞を獲得。
その後、ピーター・ポール&マリーなどを手がけるが、’69年バート・バカラックのミュージカル『プロミセス・プロミセス』のサウンド・トラックを手がけて以後、バカラックやクインシー・ジョーンズに認められ本格的にポップ部門に進出、’70年代に入ってからはジェイムス・テイラー、ボブ・ディランらを手がけ、ポール・サイモンの『時の流れに』で’75年のグラミー最優秀アルバムを獲得。続いて’77年「ストレンジャー」のヒットを皮切りにデビューから手がけるビリー・ジョエルが大ブレイク、アルバム『ニューヨーク52番街』ではグラミー最優秀アルバムを獲得(’80年)、一躍アメリカ音楽業界の売れっ子プロデューサーとなりました。

その後、様々なジャンルのアーティストを手がけることになるフィル、彼の仕事で注目すべき点は、”最高の音楽クオリリティーを達成するためのA&R…つまり”アーティスと楽曲”を厳選しているということ。
彼がプロデュースするアーティストは有名、無名を問わず最高のパフォーマーであり、彼の選曲センスは常にベストです。
それを証明する彼の代表的な作品を以下の通りご紹介いたします。

‘60年 ヤケティー・ヤック/リーバー&ストーラ
‘61年 オーレ!コルトレーン/ジョン・コルトレーン
‘62年 デスモンド・ブルー/ポール・デスモンド
‘63年 ゲッツ・ジルベルト/スタン・ゲッツ
‘64年 イパネマの娘/ジョアン・ジルベルト
‘66年 カジノ・ロワイアル(サントラ)/バート・バカラック
‘67年 フランク・シナトラ(ザ・ワールド・ウィー・ノウ)/フランク・シナトラ
‘68年 プロミセス・プロミセス/ディオンヌ・ワーウィっク
‘71年 ホェア・ディド・ゼイ・ゴー/ペギー・リー
‘72年 ロック・オブ・エイジズ/ザ・バンド
‘72年 ワン・マン・ドッグ/ジェイムス・テイラー
‘72年 ディオンヌ/ディオンヌ・ワーウィク
‘73年 マッスル・オブ・ラヴ/アリス・クーパー
‘73年 ランド・オブ・メイク・ビリーブ/チャック・マンジョーネ
‘73年 シカゴVI/シカゴ
‘74年 フィービ・スノウ/フィービ・スノウ
‘75年 愛への旅立ち/アート・ガーファンケル
‘76年 スター誕生/バーブラ・ストライザンド
‘78年 ニューヨーク52番街/ビリー・ジョエル
‘81年 メモリーズ/バーブラ・ストライザンド
‘84年 ゴーストバスターズ(サントラ)
‘84年 フレンドシップ/レイ・チャールズ
‘89年 フラワーズ・イン・ザ・ダート/ポール・マッカートニー
‘93年 デュエッツ/フランク・シナトラ
‘94年 ハート・トゥー・ハート/ダイアン・シューア
‘96年 スターダスト/ナタリー・コール
‘96年 ギター・スリンガー/ブライアン・セッツアー・オーケストラ
‘00年 ミネリ・オン・ミネリ/ライザ・ミネリ
‘02年 イット・ハド・トゥー・ビー・ユー(アメリカン・ソングブック)/ロッド・スチュワート
‘02年 デュエッツ/バーブラ・ストライザンド
‘06年 デュエッツ(アメリカン・クラシック)/トニー・ベネット
‘08年 トゥエンティー・ファイヴ/ジョージ・マイケル
‘09年 カラー・ミー・フリー/ジョス・ストーン

もちろん、上記作品以外にも多数の優れた作品がありますが、スペースの関係上省略させて戴きます。

尚、フィルはNARAS(ナショナル・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ)のチェアマンとしても活躍、彼のエンジニアとしての才能は今日のデジタル配信技術にも大きく貢献しました。
現代に生きる我々が、様々なスタイルを選択し音楽を聴く、そんな時代を形成した一人がフィルとも言えましょう。
ちなみにビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』が世界初の一般販売仕様コンパクト・ディスク(CD)として発売されたのもフィルの手によるものです。
また、彼の作品群のなかでデュエットものが多いのは、デュエット相手が同じスタジオにいなくても録音できるシステム(光ファイルによるレコディング)を開発したためでもあります。

フィルの訃報を受け、ビリー・ジョエル、ポール・マッカートニー、バーブラ・ストライザンド、クインシー・ジョーンズらが追悼コメントをリリースしましたが、いみじくもスティーヴィー・ワンダーが”The Star of Stars behind the Stars(意訳すると、スター・アーティストを支えたスター達(裏方)の中で最大のスター”と評したように、音楽界が大きな財産を失くしました。
我々にできることは彼の遺した素晴しい作品、そして技術を後世に引き継ぐこと…

ソフト、そしてハードでも音楽シーン・音楽ビジネスに多大な貢献をした偉大なミュージック・マン:フィル・ラモーン…合掌です。

また、フィルの訃報に前後して、ジャクソン5の『ABC』、『帰ってほしいの〜I WANT YOU BACK〜』、『小さな経験〜THE LOVE YOU SAVE〜』、シュプリームス『ラヴ・チャイルド』…モータウンの代表的なNO.1チューンを手がけたディーク・リチャーズの悲報も届きました。

‘60年代初頭から中期にかけてシュプリームスの『ベイビー・ラヴ』『恋はあせらず』などの大ヒットを生み出し、”ヒット・ファクトリー”モータウンの礎を築いた作家チーム:ホーランド=ドジャー=ホーランドのモータウン離脱後、レーベルの次代を担う大型新人:ジャクソン5をブレイクさせるためにモータウン創始者:ベリー・ゴーディーの肝いりで編成され、見事ジャクソン5を大スターへと導いた作家チーム:ザ・コーポレーションの中心メンバーとして、ディークはモータウン第二次隆盛期を支えました。
ベリー・ゴーディーの先見性と、ディークの確かな腕が、マイケル・ジャクソンが史上最高のエンターティナーへの道を歩む、その大きな一歩を踏み出させた、とも言えましょう。
そんなディークが手がけた楽曲、その多くが初めて世に出されてから既に40余年を経過しています。
しかしながら、いまだテレビのコマーシャルで、スクリーンで、気鋭のアーティストのカヴァー・バージョンで、絶えず聴こえるディークの手による楽曲…名曲は永遠に輝き続けますね、満開の桜の如く!

合掌。

リリース情報

●ビリー・ジョエル【ニューヨーク52番街】(SICP-30105、2013/3/6リリース)

‘78年に発表されたビリー通算6枚目のアルバム。初の全米チャート1位、そしてグラミー最優秀アルバム賞、と数々の栄冠を獲得したポピュラー史上に燦然と輝く傑作、もちろん、フィル・ラモーン・プロデュース作品。 

 

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