Vol.9 作家シリーズ その(1) &「秋」の歌特集
洋楽編~作家シリーズ その(1) 「ある愛の詩」「恋のゲーム」の作詞家~カール・シグマン~CARL SIGMAN
母国:アメリカのみならず、世界的に知られている曲を書いた作詞家カール・シグマンは、ブルックリンの婦人靴屋の息子として生まれました。
妻テリーや家族マイケル、ランディー、ジェフリーとの生活をなにより大切にするカールは、あまり外交的な性格ではなかったようです。長男マイケル(現在彼のカタログを管理する音楽出版社メジャー・ソングスの社長)は、カールのカタログが一般的にあまり知られてない一つの理由は、カールが人付き合い面で厄介なことが多いブロードウェイやハリウッドの仕事を好まなかった為だ、と分析しています。
ブロードウェイよりもむしろゴルフを愛好し、たった一人でも毎日プレイしたと云うカールですが、それでも一度だけブロードウェイの仕事をしています。 中ヒットした「エンジェル・イン・ザ・ウイングス」、がそれです。しかしこの仕事も彼にとってあまり良い経験ではなかったようです。とはいえ、彼にもさまざまな仕事関係の友人がいました。MGMレコードのハリー・メイソン、RCAのA&R:ジョー・カールトン、DJ、音楽出版社のヒューイ・リッチモンドやジェリー・ウェックスラーなどとは良いポーカー仲間だったそうです。
ブルックリンのトーマス・ジェファーソン・ハイスクール卒業後、医者か弁護士になってほしいという母親の望みをよそに、彼はブリル・ビルディング(マンハッタン)つまりティンパン・アレーにいりびたりになります。そこで出遭ったのが、あのジョニー・マーサー。2人で当時ビルボード・トップ20の常連だったアイシャム・ジョーンズのために書いた曲が「ジャスト・リメンバー」でした。
当時、カールは作曲もしていましたが、ジョニーはカールに作詞家になることを勧めたと言われています。理由は15人のバンドメンバーは皆メロディーを作れるが、作詞をするのは一人、つまり作曲より15倍印税をもらうチャンスがあるから、と云うものでした。
1940年代は彼の当たり年でした…初頭はビッグ・バンドの黄金時代、そして戦後はキングコール・トリオに代表されるヴォーカル・グループの時代となり、カールの曲も数多くラジオを中心にヒットしました。ちなみにカールの40年代のヒット曲は、「ビフォー・ロング/ルイ・アームストロング」「イッツ・スクウェア・バット・イット・ロックス/カウント・ベイシー(唄ヘレン・ヒューメス)」「ビジー・アズ・ビー/ベニー・グッドマン(唄ヘレン・フォレスト)」「ドント・エヴァー・ビー・アフレイド・トゥ・ゴー・ホーム/ビング・クロスビー、フランク・シナトラ」「クレイジー・ヒー・コールス・ミー/ビリー・ホリデイ」などなどがあります。
長いキャリアの中で、カールは、音楽スタイルや世代の違いなどをまったく気にすることなく、常に彼独自のスタイルを守ってきました。会話の如き直接的な詩がリスナーを最も魅了すると云うことを知っていたからです。また、彼の詩は決して政治的なものではありませんでしたが、人々の生活感というものを理解していたこと、そして何よりもデューク・エリントン、ジョニー・マーサー、ジミー・ヴァン・ヒューゼン、エロール・ガーナー、ボブ・ラッセルといった偉大な作曲家とのコラボレイトが彼の詞に磨きをかけたと言えましょう。
数々のカール作品のなかで有名な逸話は、「Ebb Tide~引き潮」の作詞に纏わるものでしょう。
ハープ奏者のロバート・マックスウェルの器楽曲、しかも「引き潮」というタイトルが既に付けられていた為に、詞のイメージが浮かばず断ろうと思っていた朝、ふと目にした新聞に載っていた映画“地上より永遠に"の宣伝写真(デボラ・カーとバート・ランカスターが渚で抱擁しているもの)がきっかけで“~with scarcely a moment of reflection~”というフレーズが浮かんだというものです。
お待たせしました、フジパシフィック音楽出版が管理するカール・シグマンのカタログをご紹介しましょう。
「It's All In The Game」 (恋のゲーム)
1951年クーリッジ政権下の副大統領であったチャールズ・G・ドウズが作曲したフルートの器楽曲にカールが詞をつけたと言う変りダネの1曲。'58年9月トミー・エドワーズが歌い見事全米No.1に輝いた。ポップスの楽曲では最も多くカヴァーされているものの一つ、'70年フォー・トップスによってカヴァーされヒット。他にもクリフ・リチャード、ダイナ・ショア、ナット・キング・コール、ベン・E・キング、ヴァン・モリソン、ジョージ・ベンソン、そして日本では山下達郎、などなどカヴァーしたアーティストは数知れず。。。
*「It's All In The Game」 (恋のゲーム)は、『クリフ・リチャード/グレイテスト・ヒッツVol.1』(TOCP-67165)に収録されています
「All Too Soon」 (オール・トゥー・スーン)
デューク・エリントン作曲。エリントンの曲はボブ・ラッセルなどにより、後になって詞がつけられることも多いですが、この曲は'41年ミルドレッド・ベイリーのためにカールがエリントンと共作したもの。エラ・フィッツジェラルド、アン・バートン、ペギー・リー、サラ・ヴォーン、クリス・コナー、クレオレーンといった錚々としたアーティストによって歌われています。
*「All Too Soon」 (オール・トゥー・スーン)は、『デューク・エリントン/1969:オールスター・ホワイト・ハウス・トリビュート』(TOCJ-66133)に収録されています。
「Come In Out Of The Rain」
1946年ボブ・ラッセルと共作しナット・キング・コール・トリオに書き下ろされた曲。
カールはキング・コールへ他にも「マイ・フェア・レディー」「ペイント・ユアセルフ・レインボウ」の2曲を書いています。この曲を'59年なんとアカデミー俳優ジャック・レモンがリヴァイヴァル・ヒットさせています。他には、カーメン・マクレイ、オードリー・モリスもカヴァーしています。
*「Come In Out Of The Rain」は、『Nat King Cole/Love Songs』(輸入盤)に収録されています。
「Crazy He/She Calls Me」
ビリー・ホリデイが1949年デッカにレコーディングした、カールの最も有名な作品のひとつ。
これもボブ・ラッセルとの共作。アレサ・フランクリン、ダイナ・ワシントン、アニタ・オデイ、サム・クック、トニー・ベネットといったベテランから、近年はナタリー・コール、リンダ・ロンシュタット、ごくごく最近ではロッド・スチュアートもカヴァーしています。
*「Crazy He/She Calls Me」は、『ロッド・スチュアート/ザ・グレイト・アメリカン・ソングブック Vol.2』(BVCM-31122)に収録されています
「Before Long」(ビフォー・ロング)
ルイ・アームストロングはJAZZだけでなく「この素晴らしき世界」のようなポピュラー・ソングもレパートリーに取り入れていました。この曲も、ポップスとして1947年RCAにてレコーデイングされました。
ルイ・アームストロング・オールスターズのドラマーであったシドニー・カートレットとの共作です。
*「Before Long」は、『Louis Armstrong/Pops: The 1940s Small Band Sides』(輸入盤)に収録されています。
「Buona Sera」 (ボナ・セーラ)
1956年ルイ・プリマによってレコーディングされたラテン・ムード溢れる楽曲。
邦題は「今晩はお嬢さん」でフランキー堺がカヴァーしています。他にもニニ・ロッソや、映画「恋するための3つのルール」のサウンド・トラックにも収録されています。
*「Buona Sera」 (ボナ・セーラ)は、『Louis Prima/Beepin' & Boppin'』(輸入盤)に収録されています。
「I Could Have Told You」 (この気持ちが届いていたら)
フランク・シナトラの友人でもあり「オール・ザ・ウェイ」の作家でもあるジミー・ヴァン・ヒューゼンとの共作。フランク・シナトラ、ブルック・ベントン、ダイナ・ワシントン、エスター・フィリップス、カーメン・マクレイ、サミー・デーヴィス・Jrといった大物がカヴァーしています。
*「I Could Have Told You」 (この気持ちが届いていたら)は、『Frank Sinatra/No One Cares』(輸入盤)に収録されています。
「(Where Do I Begin) Love Story」
カールの作品の中で、おそらく日本では一番有名な作品がこの曲でしょう。
1970年の映画「ある愛の詩」がアメリカで公開された時には、トニー・ベネットやジョニー・マティスといった多くのコロンビアのアーティストがこの曲をレコーディングしましたが、ご存知アンディ・ウイリアムスのヴァージョンが最大のヒットとなりました。フランシス・レイのロマンティックなメロディーは日本でも大受けして50以上のカヴァー・ヴァージョンが生まれました。
*「(Where Do I Begin) Love Story」は、『アンディ・ウイリアムス/ベスト・オブ・アンディ・ウィリアムス・ヒッツ』(MHCP-299)に収録されています。
邦楽編~「秋」の歌特集
暑く長かった今年の夏もようやく終わり、秋の気配が感じられるようになった今日この頃…。
そんな時に聴きたい「秋」の歌を、フジパシフィック音楽出版の管理楽曲のなかからいくつかご紹介致します。
ということで、今回の「邦楽編」は、「秋」の歌を特集してお届け致します。
(TOCT-10776)
(FHCL-2003)
『自己ベスト』
(FHCL-2020)
「秋の気配」<作詞・作曲=小田 和正>~小田 和正
擦れ違いを始めた心と心、二人の関係に秋の気配が…。恋愛の微妙な心象風景を繊細な感性で歌った小田和正の代表的作品。オフコースの1977年のアルバム『JUNKTION』収録曲。セルフ・カバーされて1996/2/01にリリースされたアルバム『LOOKING BACK』に収録。また、ロング・セラーを続けている『自己ベスト』にも収録されている名曲。また、あの槙原敬之を初め、山口由子、辛島美登里、鈴木真仁といったアーティストもこの曲を取り上げています。
*「秋の気配」は、オフコース名義で『JUNKTION』(TOCT-10776)、小田和正名義で『LOOKING BACK』(FHCL-2003)、『自己ベスト』(FHCL-2020)に其々収録されています。
「秋のINDICATION」<作詞=許 英子・作曲=萩田 光雄>~南野 陽子
1987/9/23に「グリコ・セシルチョコレート」のイメージ・ソングとして発売された南野陽子9枚目のシングルでオリコン第1位に輝いた大ヒット曲。当時、超人気アイドルだったことは勿論のことですが、この曲に代表されるような素晴らしい作品に恵まれたことも、南野陽子が大ヒットを連発した大きな要因だったと言っていいでしょう。今なお、“じんわり”とした良さを感じさせるこの曲もまさしく、そんな1曲です。南野陽子は、このヒットの翌年、やはり秋に「秋からも、そばにいて」をリリースし、これまた、大ヒットとなった。
「秋からも、そばにいて」<作詞=小倉 めぐみ・作曲=伊藤 玉城>~南野 陽子
1988/10/8に「グリコ・ポッキー&アーモンドチョコレート」のイメージ・ソングとして発売された南野陽子13枚目のシングルでオリコンの第1位に輝いた大ヒット曲。この曲も彼女の魅力を充分に引き出した、作品力を大いに感じさせてくれる彼女の代表作のひとつ。
*「秋のINDICATION」「秋からも、そばにいて」は、『GOLDEN☆BEST 南野陽子 ナンノ・シングルス3+マイ・フェイバリット』(MHCL-303)に収録されています。
「秋でもないのに」<作詞=細野 敦子・作曲=江波戸 憲和>~本田 路津子
「秋でもないのに」というからには、季節は、「秋でもないのに」。
秋の歌の中で紹介するのは、おかしいかもしれませんね。ただ、“気分は間違いなく秋”ということで今回のライン・アップに連ねました。
本田路津子の1970年のデビュー曲。澄み切った爽やかな歌声と共に永遠の名曲と云えるフォークのスタンダード・ナンバーです。
*「秋でもないのに」は、『愛と青春のフォーク大全集』(MHCL-162)に収録されています。