Vol.17 社会状況の変化に影響を受ける音楽産業

こうした変化(音楽産業が爆発的に規模を大きくし、ミュージカルが多く誕生し、譜面が一挙にそれまでの数倍売れるようになり、才能ある作家が数多く登場してくる……といった)は、当然のことながら、その裏側に社会状況の変化といったことがある。例えば産業が発達して労働の機会が多くなったり、給料が上がることによって人々が娯楽に使う金額というものがふえてゆく……といった経済の原則が働くことによって音楽産業が影響を受ける……といったように。
  そしてまた、そうした構造的な変化の他、音楽界は社会の変化につれてもう一つ大きな変化を強いられるのである。それは人々に好まれる音楽の変化だ。俗に”歌は世につれ、……”と言われているものだ。
  実際、1950年代の半ばにロックン・ロールが登場してから今日に至るまでのその変化をみてみただけでも音楽の変化の裏側に社会情勢の変化といったことが、いかに大きなファクターになって存在しているか、ベトナム戦争などの例をあえて挙げるまでもなく、よく理解できることだろう。
  1900年代の初めのアメリカの音楽にも こうした変化は例外なく起こっているのだ。それは一種の好みの変化、という形で表れてきた。(例えば、レビューやショーなどでもつい先日までは、そのオーヴァーで少々、馬鹿馬鹿しい、と思われるくらい誇張して演技したり、歌われていた部分が、観客に受けて彼らの涙を誘っていたのに この頃になるとそうした部分になると逆に観客はゲラゲラと笑い出す……といったような状況になってしまうのである。これは、昔人気の「ノラクロ上等兵」や「タンク・タンクロー」といった漫画が、今のヤングにとっては、何ともテンポの遅い、まだるっこしいものであって 少しも面白くないのに 前後のつながりなど ちょっとぐらいメチャクチャでも場面、場面でおかしい「マカロニほうれん荘」の方が100倍面白い……といった変化と同じ、と見ることができるだろう。)というのは、それまで常識と思われていた、ストーリー性のある、センチメンタル・バラードに代ってよりシンプルで日常生活で密着した出来事を扱った、飾りのない曲とシンコペーションの魅力が、多くの人に限りない新しさを感じさせた、ラグタイム・ミュージックという二つの違ったタイプの音楽が、人気を得るようになったからである。
  要するに日本の時代劇の昔の歌舞伎に影響を受けたオーヴァーな演技に代って より自然なもの、或いは、例えは適切ではないかも知れないが、それまでの映画が常に将軍が偉く正しく、悪いのはいつもどこかの大名であったものが、悪いのは将軍の方で 大名は将軍の圧迫に耐えかねて反乱を起こしたのだ、といったような視点を変えた映画が受け入れられる……といったものと同様な事が起こった訳である。19世紀から20世紀に入り、アメリカの世の中でも人々が変化している様子が、こうした音楽の変化から、うかがわれて面白い。
  こうしたシンプル・タイプ・バラードの作家として有名な人には、「In the Shadow of the Pyramids」などを書いたアーネスト・R・ボール、「Will you Love Me in December As You Do in May?」の大ヒットを飛ばしたジェームズ・J・ウォーカーなどがいた。
  アーネスト・ボールの曲は、誰でもが毎日、フト感じることを真心をこめて正直に歌ったものが多く、それまでの特異な出来事やドラマチックな場面を好んでとりあげていたセンチメンタル・バラードとは、大きくスタイルを別としていた。
  このシンプル・バラードの変化を それまでのセンチメンタル・バラードからのソフト化、とみれば、ラグタイム・ミュージックは、ハード化ということが、出来るだろう。