Vol.19 音楽シーンに衝撃を与えたラグタイム・ミュージック
この「Bill Bailey, Won't You Please Come Home?」は、文字通り初期のラグタイム・ミュージックのヒット曲の王様、といっていい成功を収めた。当然の事ながら、この不幸なヒーローをこの曲だけで終らせてしまうのは勿体ない、と考えた音楽出版社や作家によって アンサー・ソングの類がいくつか作られた。例えば「I Wonder Why Bill Bailey Don't Come Home?(何でビル・ベイリーは家に帰らないんだろう)」とか、「Since Bill Bailey Came Back Homeビル・ベイリーが家に帰ってから……)」、といったように……。勿論これらの曲は、その当座少し評判を集めただけで すぐ人々の記憶からは消し去られてしまったが、逆にこうした曲を踏み台にでもするかもように オリジナルの 「Bill Bailey, Won't You Please Come Home?」は、その存在をますます人々の間に強めていったのである。この他のラグタイム・ミュージックのヒット曲には、ボブ・コールの「Under The Bamboo Tree」、ソフィー・タッカーの歌で有名になった「That Lovin' Rag」、「The Cubanola Glide」、「Carrie」といった曲、ルイス・F・ミュアーの作ったいくつかの曲(特にアル・ジョルスンやエディ・カンターによって歌われた「Waiting For The Robert E. Lee」は特に有名)、といったものがある。
しかし、皮肉なことに”ラグタイム”の名前を現在まで残し、その当時最も大ヒットとなり、最も広く唄われ、演奏され、ダンスされる曲となったアーヴィング・バーリンの「アレクサンダー・ラグタイム・バンド」は、タイトルにラグタイムという名前が使われ、サビの部分に入る"JUST"という言葉のところに1回シンコペーションが使われているが、全編シンコペーションの連続ともいうべき本格的なラグタイム・ミュージックからは、程遠いものだった。
だが、この曲の登場によって(この曲もまた、有名なヒット曲の常として そのバック・グラウンドには、各自にエピソードを持っている。詳細は省略するが、アーヴィング・バーリンが1911年にこの曲を書いてから、シカゴのヴォードヴィル劇場でエマ・ケーラスという女性歌手のダイナミックなヴォーカルで歌われ、大ヒットとなるまでには、いくつかのストーリーが誕生しているのだ)。ラグタイム・ミュージックは、一つの大きなブームを迎えるのである。
そして(前にも書いたが、丁度ロックン・ロールとおなじような)各種の反響を巻き起こすのである。
曰く”裏通りや地下道の臭いのする、疲れ切った音楽である……”
曰く”決して新しい種類の音楽ではないが、丁度カレーやケチャップと同じように腐りかけた食物にかければ、何とか口あたりをよくするだけの力はあるもの……”といった。
しかし、こうしたラグタイム・ミュージックを不健康で不道徳なもの、という風にしか見ない人ばかりではなかった。
”いやラグタイム・ミュージックは、これまでの音楽にない新しい経験を我々に味あわせてくれるし、この音楽は今のアメリカの都市の情況をピッタリ表現している、と考えられるのだ。休みなく騒ぎまわり、動きまわる……という事が……”
このラグタイム・ミュージックに対する反対意見も肯定意見も実にロックン・ロールが1950年代の半ばに登場した時とソックリであることが判る。
シンコペーションといい、こうした意見といい、やはり、ラグタイム・ミュージックは後半のロックン・ロールがアメリカの音楽シーンに与えたのと同様な衝撃を与えた事は否めないだろう。
しかし、皮肉なことに”ラグタイム”の名前を現在まで残し、その当時最も大ヒットとなり、最も広く唄われ、演奏され、ダンスされる曲となったアーヴィング・バーリンの「アレクサンダー・ラグタイム・バンド」は、タイトルにラグタイムという名前が使われ、サビの部分に入る"JUST"という言葉のところに1回シンコペーションが使われているが、全編シンコペーションの連続ともいうべき本格的なラグタイム・ミュージックからは、程遠いものだった。
だが、この曲の登場によって(この曲もまた、有名なヒット曲の常として そのバック・グラウンドには、各自にエピソードを持っている。詳細は省略するが、アーヴィング・バーリンが1911年にこの曲を書いてから、シカゴのヴォードヴィル劇場でエマ・ケーラスという女性歌手のダイナミックなヴォーカルで歌われ、大ヒットとなるまでには、いくつかのストーリーが誕生しているのだ)。ラグタイム・ミュージックは、一つの大きなブームを迎えるのである。
そして(前にも書いたが、丁度ロックン・ロールとおなじような)各種の反響を巻き起こすのである。
曰く”裏通りや地下道の臭いのする、疲れ切った音楽である……”
曰く”決して新しい種類の音楽ではないが、丁度カレーやケチャップと同じように腐りかけた食物にかければ、何とか口あたりをよくするだけの力はあるもの……”といった。
しかし、こうしたラグタイム・ミュージックを不健康で不道徳なもの、という風にしか見ない人ばかりではなかった。
”いやラグタイム・ミュージックは、これまでの音楽にない新しい経験を我々に味あわせてくれるし、この音楽は今のアメリカの都市の情況をピッタリ表現している、と考えられるのだ。休みなく騒ぎまわり、動きまわる……という事が……”
このラグタイム・ミュージックに対する反対意見も肯定意見も実にロックン・ロールが1950年代の半ばに登場した時とソックリであることが判る。
シンコペーションといい、こうした意見といい、やはり、ラグタイム・ミュージックは後半のロックン・ロールがアメリカの音楽シーンに与えたのと同様な衝撃を与えた事は否めないだろう。