Vol.23 弁護士の音楽出版社業界への大巾な進出

当然の事ながら、こうした変化はティン・パン・アレイのビジネス面でも起っていた。その一つが、弁護士の音楽出版社業界への大巾な進出である。
  “アメリカ人はスー族である”という冗談が良く語られる。インディアンのスー族とSue(訴える、訴訟する)のダブル・ミーニングを持たせたジョークだが、事程左様にアメリカ人は何かあれば相手を訴える。そして、その毎度に、訴えた方と、訴えられた方の両方の弁護士だけは確実に収入を上げて行くのである。
  (最近のアメリカの音楽出版業界にも多くの弁護士が登場してきていて、現在、新しく設立される出版社の半分以上は、その国内外に於ける契約・交渉などを弁護士にまかせている、といっていい。ただ、この場合の弁護士の役目は、大体において交渉術の見事さという面を買われていることが多い)
  ティン・パン・アレイへの弁護士の進出はこうしたアメリカ人のSue好き、という事と同時に、ティン・パン・アレイが一つの産業として形を整えつつある時だった為に、それまでいい加減だった部分を、ハッキリさせて行く必要があった、という二つの理由が考えられる。
  例えば、EBマークス社は、その頃自分の会社の専属作家だったバラード・マクドナルドが以前詩を書いた「Play that Barbarshop Chord」という曲の市販されている譜面に、彼の名前がクレジットされていず、代わりに出版社であるJ・フレッド・カンパニーが勝手にウイリアム・トレイシーという人物に一部詩を直させた上、トレイシーの名を作詞家として譜面に載せていた事に対し、J・フレッド・カンパニーに57,500ドルの損害賠償を求める訴訟を起し、結局、J・フレッド・カンパニーを廃業に追い込んでしまった、というのもその一つのケースだし、やはり大手出版社の一つレミックでは、ソル・ブルームという、彼自身一時出版社をやっていた事のある弁護士を雇い、著作権侵害について勉強させ、シカゴで、レミックの許可を得ずに勝手にレミックの楽曲を譜面として出版していた会社に25,000ドルの損害賠償をさせ、不法出版を絶滅させる大きなキッカケを作ったのもそうした例である。
  その他、この頃になると、“あの曲は、自分のところの管理している、この曲の盗作だ__”といった訴訟も起いこってきている。
  例えば、1920年にレミック社によって出版され、アル・ジョルソンなどによって歌われたヴィンセント・ローズの書いた「アヴァロン」という曲が、プッチーニのオペラ「トスカ」の中のアリアの一つにソックリだ、と「トスカ」の出版社であるイタリアのコルディ社が訴えた件がある。結局、これは「アヴァロン」がメイジャー、「トスカ」のアリアがマイナー、という違いはあったものの、リコルディ側の訴えが認められて、リコルディは25,000ドルの損害賠償金と、今後の「アヴァロン」から生ずる印税を全部受取ることが出来る、という判決を得たのである。
  「ダーダネラ」というヒット曲の作曲家、フレッド・フィッシャーがジェローム・カーンの「カ・ル・ア」という曲は自分の「ダーダネラ」のコード進行とソックリだ、と訴え、結局、このリズム・パターンとコード進行は、フレッド・フィッシャーのオリジナルではない、と訴えを退けられた件_etc.etc.それぞれが、自分の権利を主張し、その為に弁護士が、ティン・パン・アレイの中に必要になってきたのだ。
  しかし、多くの場合、大きな力のある出版者が、いい弁護士を雇い、小さな出版社は、あまり有力な弁護士を雇えない為に、こうした大きな出版社が争うと殆んどの場合、大きな出版社が勝訴、という事になるのが常だった。