Vol.30 ASCAPの好敵手BMIの台頭
ASCAPの話を語ったついでに、ライヴァルBMIについても触れておいた方がフェアーだろう。
と、いうのも、このASCAPとBMI、設立時のいきさつもさることながら、現在まで、アメリカの音楽を二分する二大演奏権協会として常に勢力争いを続けている好敵手同士だからである(現在アメリカには、このASCAPとBMIの他に一部のカントリー&ウエスタン系の作家や出版社の属しているSESACという協会があるが、前二者に比べると規模はかなり小さい)。グラミー賞やCMA(カントリー・ミュージック アソシエーション)などの賞が発表されるたびにASCAPとBMIが競って“ASCAPはグラミー賞のこの賞とこの賞の曲を管理しています__”とか“CMAの賞を受けた、この曲とこの曲がBMIの管理曲です__”といった広告を業界誌に出し、作家や出版者にいかに自分のところが強力な演奏権協会であるか(だから自分の方に所属した方が多くの演奏使用料の分配にあずかれますヨ_)というアピールを常に行っているのである。
もっとも、こうした演奏権協会のエスカレートしたパブリシティ競争に対して、批判的な作家や出版者も多く、“あんな形で勢力争いをしている暇があるなら、徴収すべきところからキチンと徴収し、それを1セントでも多く権利者に分配する、という事にもっと努力を払うべきではないか__”といった声が起っているのも事実である。それはともあれ、1941年、BMIが設立されると、BMIのバック(放送局連盟)に魅力を感じたり、それまでのASCAPの大作家優遇主義(ASCAPの設立のいきさつからして、どうしてもティン・パン・アレイの大作家、例えば、アーヴィング・バーリン、ジョージ・ガーシュイン、ジェローム・カーン、コール・ポーター、リチャード・ロジャースといった作曲家、オスカー・ハマースタイン二世、アイラー・ガーシュイン、ロレンツ、ハートといった作詞家が優遇されていた。彼らは“AA”というランクになり、それぞれ年間25,000ドルの演奏使用料を受取ることが決められ、以下、それぞれの作家のランクで年間の演奏使用料が決っていた)に不満を持っていた若い作家や出版者(特にニュー・ヨークになかった出版社は、やはりかなりの不平等を感じていた)は、続々とBMIの傘下に集まったのだ。この年だけで数百の作家と出版社がBMIと契約を交し、ASCAPよりかなり少ない(ASCAPは、この年放送使用料だけで300万ドルを集めている)が150万ドルの演奏使用料を集める、という見事な実績を残したのだ。
しかも「The Breeze and I」、「You Are My Sunshine」、「Amapola」、「I Don't Want to set the World on Fire」、「Deep in the Heart of Texas」といったヒット曲も生みます、という目で見える結果も作りながら。
こうしたBMIの活動ぶりを見ていた多くの出版社や作家は改めてBMIの力を評価し直した。そして、既にASCAPに属する出版社として活動していたところも、若いBMI所属の作家と契約するためには、これまでの出版社の他に、もう一つ、BMIに属する出版社を作る必要に見舞われるようになったのである(現在アメリカの音楽出版社が、実体は一つであるのに、名前が二つあるのは、こうしたASCAP用の会社の名前と、BMI用の会社の名前―例えばチャペル・ミュージックでいえば、チャペル(ASCAP)とユニチャペル(BMI)といった具合―を必要としているからである)。
現在BMIはASCAPの約70%の金額を徴収するまでになっていて、殆んどASCAPと肩を並べる状態になってきている。