Vol.36 多くのヒット曲を生んだデルシルヴァ・ブラウン&ヘンダーソン・トリオ

シーズン毎にブロードウェーのショーの内容は高まり、ティン・パン・アレイの出版社や、作家はその中で次々と素晴らしい仕事ぶりを示していったのである。

こうした中に、いくつか現在の出版社から見ても見習うべき動きが(当然ながら)いくつかある。

一つは違う作家とのコラボレーションである。

音楽出版社や、ミュージカルやレビューのプロデューサーは、既製の作家でいい曲を書いている者や新しい才能ある作家を探し、どんどんブロードウェーのショーの音楽の仕事をさせ、質の高いヒットする曲を作り出す努力をしていたが、その一つの方法として彼らが考え出したものにコラボレーションのコンビを変える、ということがあった。(アメリカでは多くの場合、作詞・作曲家がコンビで仕事を探しているが、それも、ピアノの傍で作曲家と作詞家が同時進行の形でメロディーと詞を作っていくことが多く、お互いにアイデアを出しながら、曲を作り上げている、というスタイルなので、相手を変える、というのは大きな冒険であると同時に、相乗的な飛躍を生み出すことにもなるのだ。例えばバート・バカラックやロジャー・ニコルスのように、それぞれコンビだった作詞家、ハル・デヴィッドとポール・ウイリアムスと別々に仕事をするようになって以来、パッタリヒットが出なくなった、というケースが、つい最近でも起っているのは衆知のところだ)いくつかの新しいコラボレーションが生み出されたが、中でも最もめざましい活躍をしたのが、ジーグフェルド・フォリーズのライヴァルと言われたスキャンダルスのプロデューサー、ジョージ・ホワイトが前任者のジョージ・ガーシュインが1924年に去った後の音楽担当としてチーム・アップした、バディ・デシルヴァ、ルー・ブラウン、レイ・ヘンダーソンのトリオである。

作詞家のバディ・デシルヴァは、このトリオの一員となる以前はジョージ・ガーシュイン、ジェローム・カーン、ヴィクター・ハーバードといった作曲家に詞を提供していた。ルー・ブラウンは、アルバード・フォン・ティルツァーの作詞家として数々のヒットを書いてきたことで知られていた。そしてレイ・ヘンダーソンは出版社のソング・プラッガーからスタッフ・ピアニストになり、作曲家に転じた、というキャリアーを持っていた。

レイ・ヘンダーソンはそれまで、デシルヴァともブラウンとも、それぞれ別々に仕事をした事はあったが、三人で仕事をする、というのは、この1925年のスキャンダルスのショーが初めてだったが、ジョージ・ホワイトの意図は見事に当たり、三人はお互いに触発され合い、素晴らしい創造集団として、ダイナミックな成果をその音楽に見せたのである。

1927年、ジョージ・ホワイトが新しいスキャンダルスのショーを演らない、と宣言するまで、このデシルヴァ・ブラウン&ヘンダーソン・トリオは、「ブルースの誕生」などを初めとする数多くのヒット曲を、このスキャンダルスの音楽の中から誕生させたのである。

彼らは、このスキャンダルスのショーが中止になった後、ジョージ・ガーシュインがたどったのと同じようにミュージカル・コメディの音楽にかかわるように、最初に手がけた「Good News」から、その年のヒット・ミュージカルの一つにしたのを手始めに、次々と、これまたヒット・ミュージカルの音楽を生み出すのである。彼らのフォーメーションを考え、実行したのが、ショーのプロデューサーであった、ということもあり3人は自分たちの出版社を設立し、ショー音楽だけでなくショーには使わないがいい曲などを出版し、出版社としての利益をも満喫したのである。