Vol.46 流行となった映画とのタイアップ

「ジャズ・シンガー」は文字通り、興行界のセンセーションとなった。当時としては前例のない300万ドル以上の収入をあげる映画となったからである。そしてまたアル・ジョルソンがこの「ジャズ・シンガー」で歌った曲は、つい1年ほど前に彼がウィンター・ガーデンで初めて披露した時に一度大ヒットしているにもかかわらず、再びアメリカ全土で最初の時に負けないビッグ・ヒットとなるパワーをも見せつけたのである。

“トーキング・ピクチャーの時代がやって来た”。「ジャズ・シンガー」を製作したワーナー・ブラザースは勿論のこと、ワーナーの戦争相手も競って次々とオール・トーキング、オール・シンキング映画の制作に入り出した。

最初の映画版レビューとして陽の目を浴びたのは、1929年に作られた「The Broadway Melody」だった。そしてこの映画はまたアカデミー賞を受賞した最初のミュージカル映画となったのである。と、同時に「The Broadway Melody」と「The Wedding of the Painted Doll」という2曲のヒット・ソングも誕生させている。

だが、この映画の成功は、そうした直接的な形での産物を生み出した他に、いくつかの大きな影響を映画業界に与えているのだ。

一つは、タイトル・ソングの効用という事をハリウッドの大物たちに認識させた、ということだ。この「The Broadway Melody」の様な映画のタイトルそのままの曲が、ステージやレコードやラジオで繰り返し、繰り返し演奏される、ということは、曲のプロモーションになると同時に、映画のプロモーションの方法としても(タイトルが同じだけに)効果があり、しかも殆んどお金がかからない、というとこに彼らは注目したのである。この結果ハリウッドで作られる映画のほとんどに(その映画がミュージカル物であるか否かは問わず)主題歌が作られる、という状況にアッという間になっていったのである。この当時、ティン・パン・アレイの新しい傾向としては、映画とタイ・アップして、映画のタイトルを入れた曲を作る事が非常に流行ったのは当然のことと言えるだろう。モーリス・シュヴァリエの主演した「The Love Parade」のために「My Love Parade」という曲が作られ、ハロルド・ロイドのコメディー映画「Speedy」のために「Speedy Boy」という曲が書かれ_といった具合に。

そしてもう一つの「The Broadway Melody」(この映画は「ジャズ・シンガー」の記録も更新する興行新記録を樹立している)の与えた影響は、こうしたミュージカル・レビュー映画はビジネスになる、という事である。ポール・ホワイトマン・オーケストラが主演した「The King of Jazz」を初めとして「Fox Movietone Follies」、「The Gold Diggers of Broadway」、「Holly Wood Revue」、「The Show of Shows」「Paramount on Parade」_といったスターをちりばめたミュージカル映画が1929年から次々と製作されたのは多くのプロデューサーが「The Broadway Melody」のヒットをもう一度自分の手で、と思った結果である。(こうした映画からも「Am I Blue」、「Tie-toe Through The Tulips」[この曲は後にリチャード・ベリーのプロデュースにより、タイニー・ティムによってリヴァイヴァル・ヒットしている]、「Singin in the Rain」、「It Happened in Monterey」_といった数々のヒット曲が生まれている)

アル・ジョルソンに続く、こうした映画のスターとしては、1929年に「Innocents of Paris」で初めてアメリカのスクリーンにデビューしたモーリス・シュヴァリエが代表的だが、ジーグフェルド・フォリーズで活躍していたファニー・ブライスなども「My Man」などで評判を得ていた。