Vol.49 基本的機能を失った音楽出版者

この、レミック、ハームス、ウィットマーク、レオ・フェイスト、ロビンスといった、いわばティン・パン・アレイの出版社の中でもクリエイティヴなセンスを持ち続けていた代表的な優れた力のあるパブリッシャーが、映画産業の傘下に入ってしまった、ということは、実に多くのことを物語っているのである。

その最大のものは、まず何よりも、こうした歴史を持つ音楽出版社が、今や映画のための音楽を、その必要に応じて供給する、というだけの機能になってしまった、ということであろう。しかも、そうした映画のための音楽の発注を作家にするのは、音楽出版社の人間ではなく、映画会社の撮影所のエライさんになってしまっているのである。こうしたエライさんやプロデューサーは、どういった音楽や曲がこれから製作する映画に必要なのかを、抽象的に、しかも文学的に述べ、作詞家や作曲家を混乱に陥し入れるような状態を次々と創り出していたが、そうした事態に対しても音楽出版社の人間が口をはさめる余地は殆んどなかった。

そして、こうした経緯を経て作家が曲を仕上げるや、そうした作品はそのまま取り上げられ、自動的に譜面として出版される、というパターンが出来上ってしまったのである。ここでもまた音楽出版社としての意見を言う機会は無いに等しかった。

つまり、この、トーキング・ピクチャーの隆盛→映画会社の音楽出版ビジネスへの侵入__という時代の流れは、音楽出版ビジネスにかつてない大きな変化をもたらし、同時にティン・パン・アレイに死刑の宣告を下したのである。

何故なら、それまで、ティン・パン・アレイに於ては、音楽出版社が楽曲に関係するすべてのもの(作詞・作曲家、歌手・演奏者、セールスマン、プロモーション・スタッフ、ソング・プラッガーといった人たちを含め)の力点の中心に存在していたのである。どの曲が楽譜として印刷されるに値するかを決めていたのは音楽出版社だし、音楽出版社は、この曲は一般の人たちに好まれそうだから、と感じたり、この曲は自分がとってもいい曲だ、と思ったりした曲を、数多く持ち込まれたり、作家の書いてくる曲から選び出していたのである。だから彼らは人々に演奏され好まれ、ヒットする曲を獲得するに必要なビジネスを創り上げたのである。そしてまた業界のそうした人間(前述した作家その他の)についても、隠れた彼らの才能を見つけ出し、それを引き出し、育て上げる、というのも音楽出版社の行っていたことだし、歌手やバンド・リーダーに、彼らのキャラクターや持味を考え、こういった曲がピッタリ合うのではないか、という話をするのも、プロモーションのメソッドを創り上げていったのも、すべて音楽出版社の作業だったのだ。

しかし、それが今や、映画業界が物事を創造する立場に立ち、音楽出版社は、ただその結果を告げられるに過ぎない存在になってしまったのである。音楽出版社は、その基本的な機能である、譜面として発行するに足るいい曲(ヒットする曲、多くの人に好まれる曲)を選び出す、という作業を失ったばっかりではなく、そうした曲をどうしたら、もっとも効果的に売り出すことが出来るか、という方法を考え、決定することさえ、辞めなければならなくなってしまったのだ。

“かつて、ヒット・ソングや大作曲家を生み出していた我々が、今、やっていることといえば、まるで銀行員みたいに、回数券を切っている、といった程度のことしかないんだから__。あの昔のティン・パン・アレイの持っていた、ゾクゾクするようなスリルと、魔力は、永久に去ってしまったんだョ__”あるヴェテラン・パブリッシャーが言った言葉である。