Vol.7 第2期の新しい音楽出版台頭

こうした第1期の新しいポピュラー音楽出版社が彼らの努力によって作り出した、音楽出版ビジネスの繁栄と拡大は、ウィットマーク&サンズがオフィスを構えていたユニオン・スクェアーの近くの14番通りの一帯に次々と誕生する、いわば第2期の新しい音楽出版社によって、ますます、そのスケールをひろげることになる。
  これらの新しい出版社は、第1期の新しい出版社がそうであったように、進取の気性に富み、エネルギーと迫力にあふれている、というプラス面で、資本金も音楽業界に於ける経験もたいしたものではない、というマイナス面を充分に補って余りがあった。しかし、何よりも彼らにとって役に立ったのは、第1期のポピュラー音楽出版社が手さぐりで行って来た、パブリッシング・ビジネスのノウ・ハウだったに違いない。何故なら、それまでクラッシックの譜面を扱うだけで、ポピュラー音楽の譜面など、ほんの片手間仕事以下の注意しか払われていなかった時代に登場して、一からそのノウ・ハウを創り出して行かねばならなかった第1期の新しい出版社の努力と労力をする必要を免除され、その上、そうした事を参考にして、よりよいものを築きあげる事が可能だったのだから…。ティン・パン・アレイの骨となり筋力となり、血管となる、いわばミュージック・パブリッシング・ビジネスの基礎組織ともいえる、作詞・作曲、出版、マーケティング、プロモーションといった手順を制定化する役割を、これらの第2期の新しい出版社(勿論、第1期の出版社でも、ウィットマーク&サンズのような意欲的な会社は、当然のことながらこの中に含まれるが……)が果たした、というのも、ある意味で当然と言えるかも知れないのである。

  ネクタイのサラリーマンでありながら片手でピアノを弾き、曲を作ることのできたジョセフ・スターンと、カギ針やクジラのヒゲを売っているうちに偶然から作詞家になり、フランク・ハーディングの出版社から出版してもらったが、余りの印税の少なさに”自分で出版社を作った方がいい”と決意したエドワード・マークスの2人が資本金100ドルで設立したジョセフ・W・スターン&カンパニーは、そうした第2期の新しい音楽出版社の中でも重要な1つだ。
  会社の名前にマークスの名前が入っていないのは、エドワードは、まだこの頃、セールスマンを辞めるつもりはなかったからで、出版社は、いわば片手間仕事だった。
  だが、このセールスマン2人によって設立された会社は、彼らのセールスマンという職業経験から見て、それまでの音楽出版社の行っていなかった、2つのイノヴェイションを音楽出版業界にもたらしたのである。

  その1つは、ポピュラー・ミュージックの譜面というものも、ただ小売り店や卸店の買いに来るのを待っているだけではなく、ネクタイやカギ針と同じく、セールスマンが品物を持って、そうした店をまわったら、これまでの数倍、数十倍売れるものである、という事を実証した(業界で初めて、セールスマンを使って譜面を小売り店などに売りに行かせたこと)である。
  そしてもう1つは、彼らが、初めて、ピアノ譜だけでなく、オーケストレーションを施した譜面を発行した出版社である、ということだ。
  これも多くのシンガーが、自分の歌いたい、と思った曲に多大の金を支払って新たにオーケストレーションを行っているのを見た2人が”そうした余計な手間と費用をかけなくてもいいようにしてやれば、アーティストは、喜んで我々の譜面の曲を歌ってくれるのに違いない―そうなれば、一般の客もその曲を聞く機会がふえて、また一層譜面が売れる……”という発想をしたからに他ならない。